大多喜町の怖い話

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大多喜町おおたきまち

大多喜町とは

市名の由来は「大きな滝」から。千葉県南部の夷隅郡に位置する。
大多喜城を中心とする城下町で発展したとされ、古くから農業や林業を中心とする産業が中心。1891年に天然ガス井が発見されて以降は天然ガスの開発事業が主力となっている。

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筒森つつもり

麻綿原

758 あなたのうしろに名無しさんが・・・

あれは7年前の夏の出来事です。
友人Kと僕の2人で、ドライブに出かけました。
特に目的地もなく、適当に車を走らせていました。

とりあえず向かったのは養老渓谷方面。
その後、なぜか内浦山県民の森に向かっていました。
当然地図を持っていたのに、なぜか勝浦ダム近辺で道に迷っしまい、気づくと麻綿原に。
確か大きな看板があったと記憶しています。

その看板のところはT字路なのですが、そこを左に曲がれば県民の森に着くようです。
というわけで左折して、50mほど走りました。確か、未舗装の道だっとと思います。
そこには1台の白い廃車があり、
何となくイヤーな感じがして、友人に声をかけました。
「なあ、あの車やばそうじゃない?」
「なんか嫌な道だからさ、一回戻ろうよ。」
というわけで、今左折してきた道を戻ろうとした時です。 つづく

759 758

つづき
友人が僕の腕を掴んで騒ぎ出しました。
「おい、早く!早く!!」
友人はバックミラーを見ています。
とりあえず僕はやばそうな気配を感じて、大したこともない距離を急いで車を走らせました。
その時、僕はなぜか先程左折してきたT字路を元に戻らずに、そのまま直進していました。
友人もそれに気付き、
「何やってんの?何で今来た道戻らないの!?」と騒ぐ始末。
ただ、途中で戻れないんです。
Uターンしようにも、道幅が狭くて無理。
しかも林道のような感じで、道は曲がりくねっており、
とてもバックで戻れる状況ではなかったので、そのまま道を進むことになりました。 

しばらく走っていても、やはりさっきの白い廃車が気になります。
「さっき何があったの?」と聞いても、
「うん、何でもない」という友人の答え。
それでも気になるのでバックミラーをちらちらと眺めて警戒しながら運転していました。
すると、視界の端、位置的には運転席と助手席のちょうど間、その少し後ろに何かがちらっと見えたんです。
   あー、やばいなー と思いながらも、車を止めるわけにはいきません。
その時には「何かに追いかけられてる」という精神状態だったので、
とにかくこの道を早く出て、どこか人の気配のするところへ出たかったのだと思います。 つづく

760 758

つづき
そして、ようやく国道に出れました。465号線です。
その頃には、いつの間にか嫌な気配は消えていました。
家に戻る途中にその友人から聞いたところによると・・・
・白い廃車の割れたフロントガラスから、人間のようなものが上半身を乗りだしていた。
・車内で僕の視界の端に見えたもの、それは手だったらしい。

以上です。

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町域不明

隠れの里

515 トロ ◆UFOpRvHe/M

「十字架を持つ観音」養老渓谷の奥、市原、君津、大多喜にまたがる大福山「カブト山」とも呼ばれている
山麓の梅ケ瀬渓谷は「隠れの里」と呼ばれ様々な伝説がある

大福山の南、大多喜町伊藤には奇妙な観音があるらしい
集落の奥の狭い山道をたどった高台に10数体の千手観音の石像が建てられており
そのうちの10体以上が十字架を手にしているという
墓地のそはにあり、江戸時代のキリスト教禁止令時の
「隠れ切支丹」の特別な墓であるらしい

梅ガ瀬渓谷とともに、心霊体験が多い…

コピペ

で、この千手観音を実際に見た者はないんだそうだが
見ると、あんまりイイことないらしいです

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県のまんなかあたりの山地

7 あなたのうしろに名無しさんが・・・ ABXF0h1M

もうここまで来ると心霊スポットのない場所が恋しい…
個人的には県の真ん中あたりの山地はそういう話は少ないと思う。
あとは銚子とか…

10 あなたのうしろに名無しさんが・・・ 9J5MgUYI

>>7
県のまんなかあたりの山地(大多喜町周辺)は
母の実家があり、かなりの怪奇スポットでしたが。

11 あなたのうしろに名無しさんが・・・ oeBNixCU

>>10
良ろしければお話聞かせてださいな。

14 PjvtdFaQ

えーと、6=10です。
かなり年食ってる上に、新参者なので慣れてないかもしれませんが
お許しを。手みやげをひとつ。>>11さんのお声に応えて。

まだるっこしいですが、昔話から始めます。
江戸時代の頃、A郷とB郷で境界線争いが当地であったらしいです。
そして、役人を呼び、はっきりさせたらしいのですが、
その決定を不服としたA郷の若者達が、担いでいた
役人の乗ったカゴを谷にほおりこんだそうです。
ところが、役人は死なず、その若者達は捕らえられ、
磔になることになりました。A郷の村人は減刑の嘆願のために
水月寺(だったと思う。実在してます。)の住職を
ひとりの男に呼びに行かせますが、呼びに行く途中、ノドが渇き
野良仕事をしていた人が飲んでいたものを一口貰います。
それはどぶろくで、その男は酒好きだったため、その場で
すっかり酔っぱらってしまったのだそうです。

15 つづきです PjvtdFaQ

そのため、嘆願は間に合わず、若者達は磔になってしまいました。
彼らを悼む石碑が確か前述のお寺にはあります。
と、まあここまではよくある昔話なんですが。

その、酒好きの若者がひっくり返って眠ってしまった場所では、
若者達の無念を供養するために確か昭和に入ってまで
通りすがりの人へのお茶のサービスが続いてました。
「お茶や」とか「茶や堀」とか呼ばれていました。

今から数十年前、そのお茶のサービスは無くなりました。
山道をなるたけ真っ直ぐにして、トンネルかなんかを作る
工事が始まったためだと思います。すると、
トンネルでは事故が続き、かなり長いこと工事を中断して放置されていました。

16 さらにつづきです PjvtdFaQ

やっと出来たかと思うと、ひどい交通事故が多発するようになりました。
わたしの伯母も事故に遭いました。彼女が言うには、
「なんだか白い影が飛びだして来て、ハンドルを切ってしまった」とのこと。
事故を起こした運転手たちはみな同じコトを言うそうです。

そのトンネルはついに壊されました。
なぜなら、ひどい人身事故が発生してしまったからです。
その数ヶ月前、ご主人をそのトンネルで亡くした
奥さんと、そのお子さん二人が現場の近くを通りかかった時、
大型トラックにはねられて死んでしまったのです。
お子さんの遺体はすぐ側の民家の庭まではね飛ばされ、
頭が取れていたそうです。

トンネルは壊されましたが。
雨が降ると、なぜかその親子がそのすぐ近くの民家に
現れるそうです。その民家のひとも慣れた?のか
「迷わないで、逝きなさい」と言うそうですが、
その子とお母さんはニッコリ笑うそうです。
その周囲のひとたちは、江戸時代の祟りが続いていると
言い、「お茶や」の習慣を復活させた方がいいとも
言ってましたが、未だにやっていないようです。

書くと大して恐くないですね。長々、本当にすいませんでした。

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