上野村
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乙父
乙父トンネル
上野村の乙父トンネルだか、乙母トンネルだかを真夜中に車で走ってると
小学生ぐらいの女の子が
「大阪に行くのにはどうすればいいんですか」
と泣きながら近付いてくる、という話を聞いたことがある。
乙父トンネル
上野村の乙父(おっち)トンネルだか、乙母(おとも)トンネルだか忘れたが
夜車で走っていると小学生ぐらいの女の子が泣きながら
「大坂に行くにはどうすればいいんですか?」と近付いてくるという話を聞いたことがある。
当然日航機墜落事故の犠牲者の霊だろう。
楢原
御巣鷹山
御巣鷹山(群馬県多野郡上野村)
<事件>
1985年8月13日、午後6時55分。羽田発、伊丹行きの日本航空123便が墜落。
死者520名。重傷者4名(うち1名はスチュワーデス)。
我が国の最大の飛行機事故があった。
生存者の1人、川上慶子ちゃんがヘリで助けられるシーンが印象的であった。
<噂>
①事故で亡くなった人の霊に呼ばれる。
②山に人魂が見える。
③事故処理にあたった自衛隊、消防団、警察関係者にも不思議な体験談が多い。
④日航機が墜落した場所までは、細い一本道であるが、そこはもう空気が違う。
この道の途中では、知らない人の顔や不自然な手が写った心霊写真がたくさん撮れる。
妙なうわさ
群馬といえば 御巣鷹山。日航機墜落以前から、あそこには妙なうわさが・・
キャンプ中に落ち武者の大群を見たとか。どうも合戦関連の霊がでるらしい。
もしかしたら、その霊があの日航機123便を引き寄せたのかも
5chで見る御巣鷹山
御巣鷹山
1985年8月12日、東京発大阪行きの日航123便が操縦不能に陥り、
群馬県御巣鷹山に墜落し、520人もの犠牲者を出した。
この事故の救助活動は発生後半日以上がたってようやく始められた。
その結果4人が救われたが、なぜもっと早く救助活動が出来なかったのか?
実は事故発生からわずか2時間後、
米軍機が現場上空で救助開始の許可を求めていたのである。
在日米軍の輸送機C-130が嘉手納基地から横田基地へ向かう途中、
18時40分頃に日航123便のトラブル発生の無線を傍受していた。
そして18時56分に無線が途絶えレーダーから機影が消え去った。
すぐに横田基地から捜索を依頼されたC-130は周辺空域を探索し、
19時20分、ついに起伏の激しい御巣鷹山付近に残骸を発見した。
すぐさま厚木米海軍航空隊基地から海兵隊の救難チームを載せたヘリが出動、
20時50分に現場に到着した。ヘリは火災と煙のため着陸はできなかったが、
海兵隊員をロープで降ろす事はできそうだった。
しかし…横田基地にその事を報告するとその答えは、全員帰還だった。
日本の救助隊が向かっている事がその理由だった…。
その後、日本の救難機は21時20分に現場に到着した。
翌日報道関係からの報告では事故現場の発見は翌4時40分であった。
半日の空白には何があったのであろう。
救助、治療が早くから始まれば助かった者がもっとたくさんいただろう、なのに何故?
午前2時、陸上自衛隊大宮駐屯地の科学学校に連絡が入った。
「12時午後7時半頃に墜落したと見られる日航123便には医療用ラジオアイソトープ
(放射性物質)が積載されていた。その種類、放射能の強度は不明。
人員、装備を整え出動準備せよ」
それは市ヶ谷の東部方面総監部からの災害派遣準備命令だった
今でもあまり知られていない事だが、遭難機は放射性物質を積んでいた。
もしこれが飛散して現場が汚染されていたら、救助隊をも巻き込む恐れがあったのだ。
生存者の発見報道と報道規制で核物質問題視の声はかき消されていった。
その後、科学技術庁は核物質の輸送日時、
経路等の詳細な情報は不特定多数に公表するべきではないと関係自治体、
事業所に通達している。そして今でもラジオアイソトープの旅客機による輸送は続けられている。
又、自衛隊機が接触したため墜落したという説もある。
生存者の一人落合さんは、夜間にヘリが来たことを証言している。
おそらく、亡くなっていった乗客のなかにもその機影を見た人は多かっただろう。
早急な救助、治療で助かった可能性があるのにもかかわらず…。
その無念や未練の心が、いまだにここにその姿を見せる
原因の一つになっているのかも知れません…。
上野村の乙父(おっち)トンネル
乙母(おとも)トンネルだか忘れたが
夜車で走っていると小学生ぐらいの女の子が泣きながら
「大坂に行くにはどうすればいいんですか?」
と近付いてくるという話を聞いたことがある。
当然日航機墜落事故の犠牲者の霊だろう。
オスタカの尾根に向かう一本道は、
蒼い人魂が多く発生することで有名。
現場へと向かう道では数々の心霊写真が撮られ、
山中では未だにお互いを励ましあうように
人魂が飛び交っている姿が度々目撃されている。
御巣鷹山
数年前の冬、御巣鷹山登ろうとしたけど、出来なかった。
冬季閉鎖前に今季最後の林道を楽しもうとソロツーリングで近くまで行ったついでに。
霊なんか信じてなかったし、山中での野宿もへっちゃらな俺だったけど、
でも、大勢の方が亡くなった場所だし、失礼のないように・・と思って、
お供えする分と自分の為の缶コーヒー持って登った。
なんか無性に山登りがしたかったってのもあったし。
登山道入り口の遺族休憩室の駐車場から重い雰囲気がしてた。
まあ、冬山は大抵そんな感じだけど、それだけではなくて、なんか拒まれてる気もした。
でも、せっかく来たんだし・・と思って普段拝むこともない観音様に一礼して登った。
既に薄雪が積もってたけど、人の足跡もあったし、なぜかMTB?のトレースまであったし。。
山は登り慣れてるんで、道自体はきつく感じなかったけど、強烈な来るなオーラを感じて、、
凄いプレッシャーで気疲れして、、中間にある見晴らしの良い峠でへばって、
仕方ないのでコーヒー飲んで、お供え分は置いて一礼して引き返した。
帰りは日が暮れだしてたので、まあその判断は大正解だったけど、、
下りでどうも熱い視線を感じまくりで参った。当然ながら何も無かったのだけど。
普段闇とか霊とかに殆ど恐怖を抱かないニブい俺でさえビビっちまうくらいの、
まあ、それ位インパクトはある所なんで。。
あの山に逝く方はそれなりの体力と装備+強い意志は必需品ではないかと。
因みに俺の思い込み、もとい思い入れというのは、あの事故の当時、リア厨だった俺は
帰省して事故の前日に飛行機で田舎に帰り、一週間後にこっちに戻った。それだけです。
顔面蒼白にも関わらず懸命に笑顔を続け、無事接地した瞬間、盛大な拍手に包まれました。
何度も飛行機乗ってますし、もっと酷い目にも遭いましたが、あんな事があったのは
後にも先にもあの時だけでしたね、、
で、降り口の通路から偶々コクピットが見えて、パイロットがまだ居たので、
懸命にピースしてたら、彼、気づいて胸張ってVと返してくれたんですね。
その姿が焼きついて、その時単純な俺はパイロットになる!と決意した訳です。
パイロットになるには頭良くなけりゃ話になんない訳で、今まで全然勉強しなくてクラスドベ一の
俺が突然ガリ勉君に代わり、その豹変振りは皆に気味悪がられたものです。。
その甲斐あって、人に言っても恥ずかしくない高校、大学出られたのですが、
ガリ勉の代償でド近眼になってしまい、、結局思いは果たせなくなってしまった訳です、、
あの時は悔しくて何日も泣きましたね、、
皆さんにはどうでも良い話でしたが、俺的には人生変えるきっかけになったという、
まあ、そんな話です。思わず長文乱筆してしまい、失礼。。
>>384
動機がなんであれ、努力して素晴らしい成果を勝ち取った君は凄い!
発起時の理想は実現出来なかったが、イイじゃないか。
たとえ目標を達成出来なくとも、
無駄な時間を費やすのと、昨日よりも着実に前進する事は大切な事だと思う。
呂蒙の様に、「呉の阿蒙」から「呉の軍師」になる事だって出来る。
要はやる気の問題だ。
「どうせ出来っこ無い」と思ったり、
「あいつ、あんな事したって意味無いじゃん」などと講釈垂れるのは、
俺とはあまりにもスタンスが違い過ぎて理解不能・・・(略)
すんまそ。 生意気言いますた。
5chで見る御巣鷹山の裏の川
ガイシュツネタでスマソ
2chでこのスレをハケ-ンしますた。自分は釣りが好きでよく渓流に行ってます
今年も禁漁になる前に某川にイワナを釣りに行ったんです。
ああ、自分は霊感と言うモノはありませぬ・・・が
朝、6時に川に入り、釣りをはじめ1匹、イワナが釣れたんで写真を取り川に放しますた。
その後、その後なんです。釣っているとやたらと糸がプツプツ切れるんですよ。
糸が古いかな?なんて思いながら気にせず釣りをしていたら今度はパンッて言う音とともに竿が折れたんです。
別に引っ掛けた訳でもなくおかしいなと思いながら予備の竿を出すと5分も釣っていないのに又、
パンッと言う音とともに竿が折れたんです。
なんなんだと思いながら仕方なく帰り支度を始めると河原の石がコツン、コツンって鳴るんです。
人が歩いてくるみたいに。やばいと思い、走って車まで逃げ帰りますた。
家に帰ってから思い出しますた。私が釣ってた川は御巣鷹山の裏の川だったんですよ~
朝の7時頃だったんで変なモノは見えなかったんですが朝っぱらから奇妙な現象が起きてたまげますた。
ここの川を教えてもらった人にその話をしたら、ああ。あそこは出るぞ。だって。
勘弁してくれ~ホントこわかったです。
さらにデジカメで撮ったイワナの写真は白くフレア-がかかっていて薄気味悪いんで消去しますた。
でもって続き。
4歳の姪っ子を連れて高崎のスズランに買い物に行きお堀の公園の横を通って帰ったんです。
夕方の6時頃。家に帰ってTVを見てたら旧日本陸軍の映像が出てたんです。
そしたら姪っ子が「あっ、この服きたおじさんが公園で歩いてたよ」って言うんです。
えっ!?と思い何人いた?て聞いたら「公園で運動会みたいにたくさん歩いてた」って言うんです。
子供なんで幼稚園の運動会くらいしか例えようが無かったかもしれないんですが…
聞いたらあそこは第二次世界大戦の時に旧陸軍高崎13連体の本部があったそうで。
今だに出るんですかね?自分には何も見えないけど・・・
御巣鷹山
友だちがよせばいいのに御巣鷹山に肝試しにいった。
登山道の途中から霧が出てきた。無視して登ってたら
急に昼間になった。上からおりてきた人に時間を聞いたら
三日経過してた。
>>4
そういう不思議系ではなくてもっとこう、飛行機事故で死んだ人そのものが出るとかいう話は無いかのう?
応急死体安置所の体育館は取り壊し済み
半端じゃなく酷かったとの事
私、取り壊された体育館の地元市民ですが、噂でそういうのありましたよ~。
私は実際見たわけではありませんが、人の顔が天井にいくつも見える、
ってのばかりでしたけど。
ちなみに、ヘリコプターがガンガン降りてきていた小学校出身です。
余談ですが、そのせいで校庭が1ヶ月以上使えませんでした。
>>8
ということは、あなたは上野村民?
遺族でもない限り地元民でもやはり昇魂の碑のある付近へは行かないの?
>>10
いえいえ、違います。
オ○ムで有名になったF市の者です。
遺体をF市までヘリで運んできてたんですよ。で、そのヘリが下りてたところが、
F市立第一小学校なんです。
オスタカヤマノボレ
1985年8月12日18:56
JAL123便墜落事故災害派遣
[送信区分]至急
[秘匿区分]普通
[本文]オスタカヤマノボレ
少しスレ違いかも知れんが捜索に行った経験ある人が久居自衛隊に転属してきて聞いた話だから良しとして欲しい。
派遣命令が出るのが遅かったとか、墜落地点の限定に時間がかかったりしたとかで13日朝からの活動になり、
車両やヘリが入れない(人力でヘリポート作るまで着陸出来なかった)山奥だった為に徒歩で何時間もかけ墜落地点まで行った。
生存者が数名見つかりホバリングするヘリに収容し搬送。生存者はもういないと判断され、
あとは遺体の収容だけとなった、多数の遺体があちこちに散らばる…片手だけとか指だけとかゲーゲー吐きながら…可能な限り遺体を収容した。
一々山を下り麓の宿泊施設に泊まるなんて効率悪い事は出来ないから、夜になると天幕(テント)を張り野営となった。
汗だくだが風呂など無いしブツブツ言いながら硬い天幕の床に疲れた体を横たえる。
横になってどれくらい経っただろう?疲れてるはずなのに中々寝付けない、すると…
「ぅぅ~」
「ぅぁぁ~」
と呻き声が聞こえてきた、普通なら
「大変だ!まだ生存者がいる!」
となり大騒ぎになるはずだ…だけどなぜか
「これは生きてる人の声じゃない…。」
と感じ動かなかった、周りの隊員も誰も動かない…。
耳を押さえ無理矢理眠りについた。
朝になり浅い眠りから覚め、周りの隊員に聞いても何故か誰もその事について語らない、語ろうとしない。
そして交代要員が来るまで数日間夜ごと“その声”に悩まされた。
任務を解かれ駐屯地に戻り元の平穏な生活に戻ったかに思えたが…
「班長小さいお子さん連れて来てますよ」
自称霊感ありの若い隊員に言われお祓いに行くはめになった。
実は少し前に他の板にUPしたんだがオカルト板行け!と言われた話の焼き増しやったりする(笑)
2chで見る町域不明
神流川の上流
私の親父が10年くらい前に神流川の上流(ぶどう峠付近?)
に渓流釣りに行った際、誰もいないはずの山中から「おーい!」
と呼ばれたそうだ。それもすぐ後ろから・・・
もちろん誰もいなかったとか・・・
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