中標津町
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俣落
開陽台
石碑
今から20年近く前、中標津開陽台で体験したことです。
私は一人オートバイで日本一周ツーリングをしていました。
途中出会ったツーリストから、全周地平線が見渡せる絶景ポイントがあると聞き、そこを訪れました。
今では立派な駐車場や展望台ができて、すっかり観光地になっています。
しかし当時はただの野原で、私のように口コミで此処のことを聞きつけたツーリスト達が、テントを張ってたむろしているだけでした。
バイクで頂上まで上りテントを広げていると、たむろしていた連中の中から三人ばかりがこちらへやってきます。
そして、声をかけてきました。
「この場所のことを何処で知ったの?」。
旅の途中で会った人から聞いたんだけど、ここから見る景色は最高だって。
「困るんだよな、あんまり人に言いふらされると。見物人が増えちゃってさ」。
その言い方にカチンときたので言い返しました。
ここは、おまえの土地か?
そうじゃないなら誰が来ようと、そいつの勝手だろ。
強い調子でそう言うと、すごすごと引き下がっていきました。
何日もここに泊まって主のような顔をしているバカと、その取り巻きがいる側は気分が悪いので、私は少し離れた所にテントを張りました。
その夜、いつもは一旦寝たら滅多なことでは起きないのに、急にトイレにいきたくなりました。
闇の中に出て小用を足していると、ふいに前方に光りが浮かび上がりました。
何だろうと目を凝らすと、宙のある一点から光りが滝のように流れ落ち、宙に吸い込まれるように消えていきます。
背筋が寒くなりテントに駆け戻ると、シュラフに潜り込みました。
ですが寝られず、震えていました。
その間ずっと、テントの周りを誰かが歩きまわっているのです。
空が白々とする頃、足音は途絶えました。
夜が明けきって、恐る恐る外を見ると、足跡はどこにもありません。
まだ他のテントは寝静まっていましたが、私は一刻も早くここから逃れたく、さっさと荷物をパッキングするとオートバイに跨り、開陽台を後にしました。
その時、奇妙な事に気づきました。
ここにたむろしている連中は、狭い範囲に密集させるようにテントを張っているのです。
よく見ると、低い石垣のようなものが築いてあって、その中にみんなテントを張っていました。
その石垣の外側に張ったのは私だけでした。
その後、旅を続けている間、いろんな人にその体験を話しましたが、誰も知りませんでした。
あれは自分が寝ぼけていたんだなと思い始めていた頃、根室で地元のライダーと話しをしていて、何気なくその体験を話しました。
すると「あんた、石垣の外にテントを張っただろ」と言うのです。
そして彼は、開拓時代に開陽台で5人の若者が吹雪に遭って亡くなり、その霊がいまだにうろついているのだと言いました。
「頂上から少し下がった所に慰霊碑があっただろ」。
確かに石碑があったことを思い出しました。
数年前、再び訪れると、もう石碑はありませんでした。
私が光りを見たキャンプサイトは大きく広がって、石垣もなくなっていました。
遭難者の霊達は、賑やかになって喜んでいるのでしょうか?
町域不明
H小学校
道東のN町のH小学校
校内に飾ってある校舎の写真すべてに何体か顔が写ってる
そこで合宿があり2階には行ってはダメだといわれたがみんなで階段から2階の廊下を覗くと
親子が手を繋いで電気の付いていない廊下の奥へ行くのが見えた
でも私にしか見えてなかった
もちろん大人がダメだと言われている2階へ行くわけもなくびびった
ちなみに一番古い校舎となっても建て替えれないのは何度お払いしても顔が写るためと聞いた
5chで見るN町のH小学校
道東のN町のH小学校
校内に飾られてる校舎の写真全部に数体の顔や人面魚もいる
一度行事で泊まったことがあるが、2階には行ってはいけないのに面白半分で覗くと真っ暗な廊下を親子が手を繋いで歩いていた
もちろんそんなことする親子はいなく青ざめました
教員達も不思議な体験をしてるらしく昔かららしい
今も小学校として成り立っているが校舎が古くても
そんなことがあるのでなかなか建て直せないとのこと
何回もお払いしてもダメだそうだ
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