佐呂間町
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中園
若佐の墓地の隣の牧草地
あの竜巻の佐呂間町若佐の墓地の隣の牧草地には今でも人骨がでるそうだよ
まだ荒地な時にルクシ峠の工事の時に亡くなった囚人の遺体を
墓地の隣だからここでいいだろうって埋めたらしい
武士
ルクシ峠
オカ板の北海道スレから甜菜。
名前:名無しさん@七周年投稿日:2006/11/08(水)22:47:25ID:F2FHCwcC0
俺は実際に峠の頂上付近の橋の上から竜巻を見たのだが 正直たたりだと思う
山の上から突風と雨が麓に吹いて
それから山から竜巻が出現した
ルクシに道路を作るのは間違いなのかもしれない
叫び声の様ななんともいえない音は一生忘れないと思う
740名前:本当にあった怖い名無し投稿日:2006/11/09(木)17:33:10ID:vaANzsXdO
ルクシはそんなに霊験灼かな山なのか?ならば竜巻起こすべき山はもっと他にもあるだろう。
名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2006/11/08(水)22:58:44ID:UjpTT+QQ
まず、この竜巻が起こった「佐呂間町若佐地区」は、「ルクシ峠」という佐呂間ー北見間の峠の麓です。
そのルクシ峠は、現在の道路ができる前は災害が頻発し、何度も車が谷底に。
そして新しい道路ができた後も、約5年前に男女が土砂崩れに巻き込まれて死亡。
その後、この道路には怪談話がけっこうあった。
そして、今回の竜巻事故の犠牲者達は、このルクシ峠に現在新しく掘られている「新サロマトンネル」の工事関係者たち。
あの山には何かあるともっぱらの噂。
とか…ルクシはいろいろあるみたいね。
トンネルできる前もよく車とか落っこちてたし、事故の多かった記憶はある。
網走も近いし囚人の呪いとか言う人もいるけど、なんか山の神様系の怒りな気がする。
あそこに道路作らないほうがいいよね、地盤も弱いんでしょ?
町域不明
サロマ湖
サロマ湖のホテルねー、子供の頃に泊まったことがあるんだけどー。
夜中にふと目をさましたら、浴衣を着た髪の長い女性が鏡の前に正座して髪の毛をとかしてたのを見たよ。
てっきり「お母さんだな」と思ってまた寝たけど。
でも、その時ワタシの隣でお母さんは眠ってたんだよね。足バタバタしてたらお母さんが「ほら、寝なさい」みたいなこと言って
ワタシの背中ポンポンって叩いたから。
声は横から聞こえるなーと思いつつ、鏡の前にいるのもお母さんだよなぁーと矛盾を感じつつまた寝た。
鏡の前の女性は、ずーっと鏡の方を向いて髪の毛をとかしてました。
ワタシの方に背中を向けて。
サロマ湖
知り合いの話。
夜、仲間とサロマ湖に行った時、見えないけど感じるタイプの人が「あの辺嫌な感じ」
と指差すので見ると水平線上に膝丈の着物を着たおかっぱと坊主の子供がボール遊びをしていたそうです。
さらに別の友達にも空一面に人の顔がみえてたとの事。
サロマ湖って霊の名所でしたっけ?
サロマ湖といっても広いからね~。
海の事故とかR238なんか交通事故でかなりの方が亡くなってると思うけどね。
怖い話はあまり聞かないね。漁師さんならみてる人いるかもね。
>>31
戦争中に機雷が流れ着いて
野次馬が沢山集まってきて
爆破処理の準備中に爆発!!
200人くらいがバラバラ事件というのがありました。
その時の子供だとするとカワイソス(つд⊂
>>34
湧別の話な。
>>31です。
連休に叔父の家に行き地雷の話しを聞いてみました。
叔父より叔母が知っていて叔父も父も網走管内の人間だというのに知らなかったそうです。
でも叔父はサロマ湖に地雷を埋めたという記憶があり、おばの話とつなげると
サロマ湖付近に埋めた地雷がオホーツク海に流れ、湧別で爆発したという事になります。
私はどうしてもこれに知り合いがサロマ湖で見た霊の話をつなげたくなるんですが…。
死ぬという原因の根本となるものがあれば、場所は違っても霊はそこへ行く…
ということってあるでしょうか?
湧別町の爆発事件
かなり遅スレだけど、湧別町の爆発事件は地雷ではなく機雷です。
海に浮かべて船を沈めるやつ。
ソ連製だったらしい。場所は湧別川の河口近く。
慰霊碑があります。
25年ほど前に詳細な本が出てます。
私の祖父母、母が当時湧別に住んでたはずです。
私の母親は生まれて一年くらいだったようで、小学校時に同級生で親を亡くした人が
多かったそうです。
もうひとつ、サロマ湖にも機雷が打ち上げられ、同時に爆破処理する予定だったそうです。
で、湧別のは砂丘の斜面にあり、危険なので、ロープをかけ少しずつずらしたそうです。
爆発があった時、機雷から10メートルほど、前に10人ほどいて、その陰で助かった人の話は、物凄い衝撃で目の前が赤くなり息苦しくなった。
鼓膜が破れ音がしなかった。
目の前の物をぬぐうと肉と血、息苦しかったのは血まみれの肉と髪の毛が詰まったためで、それを掻きだし吐いたそうです。
夫が機雷を引いていた奥さん、爆発があった現場に行った。
爆発があった時、砂丘の陰にいた人が大量の砂をかぶったが何人か助かったのを見て、夫を探した。
夫の手には痣(大きな傷だったかも)があり、かなり目立ったので、それを探していると、砂の中から出ている夫の痣のある手を見つけた。
喜んで引きずり出そうと引っ張ると、スポンと重さがなく、後ろに倒れた、腕はもげて、砂の上に乗っかっていただけだった。
驚いて腕を名上げだし家に帰った。
姑がどうしたか聞いたので、答えると、ひどく怒り「夫と分かる部分をなぜ持ってこなかった」と言われ、確かにその通りなので戻り、探したが、その後、見つけることはできなかった。40年経っても後悔している。
親を探しに行った女の子、浜の爆発現場に向かう途中、近所の友達の父親に会った。
おじさんはよろよろと力なく魚箱を持って鳴きながら歩いていた。
中を見ると、ボロボロの肉片だった「それ・・・○○ちゃん・・・」と聞くと、力なくうなずいた
サロマ湖に打ち上げられた機雷は厳重な監視の元、爆破処理したが、ダミーだったのか火薬がなくポンといって沈んだらしい。。
ちなみに機雷を引っ張るのにロープをかけた人、引っ張ろうとした時、交代の人が来て、ちょうど昼だったので「めし、食って来い」と代わってくれて、100メートルほど移動した時に大音響がしたそうです。。
代わりの人は前から数番目で跡形もなくなたつぉうです。。
50年後に私の母親達に話したそうです。。
このニュースは戦時で緘口令があったそうですが、なにぶん、日本のはずれのため、またその後の本土爆撃の被害に比べ規模が小さい(!)のと、戦後の混乱であまり知られなかったそいうです。。
私は昭和50年ころNHKで特集してたのを見て初めて知ったはずです。。
その浜辺ですが、地元では供養の場所ではあっても、幽霊が出るとかは聞いたことがありません。。
それほど供養、鎮魂の思いは大きいはずです。。
肝試し、興味本位に行くのは・・・。
長々書きこみ、連張りしました。でも、途中で止めることができず、また、一気に
書くのも、気が重く分割しました。
興味のある人は図書館や北海道の本で探すとあるはず
です。硬い題名(湧別町機雷爆発事件の事実みたいな)ものだったかも。
私は常紋トンネルの人柱の話(お化け話、残酷話)から郷土史、歴史に興味を持ちました。
ぜひ同じ轍を踏んでください
サロマ湖の事を書かせてもらった者です。
その後、詳しく知りたくて調べてみましたがここまで詳しい話は初めてです。
「汝サロマ湖にて戦死せり」と言う本、今は廃盤になってるそうですがパソコンで
読む事ができるそうですね。まだ読んでないのですがこれは絶対に読もうと思っています。
私もサロマ湖は霊の話を聞いた事がなく、知人が研修でサロマ湖付近で宿泊した際見たものは何だろうと思って軽い気持ちでここの住人にお尋ねしたのですが、
まさかこんな過去があるとは全く知りませんでした。
知る事が出来てよかったです。