加美町
\すまんな、アドセンスやで!/
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味ケ袋
薬來山の辺り
加美町って何かある?
薬莱山辺りとか
>>540
薬來山の辺りだと……
・荒沢の滝(地元だと大滝で通じる、自殺の名所)
・天ヶ岡廃焼却場(道難しい、心霊スポットとしては無名)
・鍋越峠(尾花沢へ通じる山道、鍋越トンネルが心霊スポット)
・漆沢ダム(ただのダムだが、夜は洒落にならない多さ)
・宮崎水道配管場跡地(道が難しい)
・宮崎の森(場所不明、地元民の中では伝説の心霊スポット)
辺りが有名かな、宮崎の森以外は行ったことあるよ
行くときは誘ってね
漆沢
漆沢ダム
ダムの手前に神社があるんだが、そこもヤバイ
ダムなら上がってすぐの管理棟の窓に霊がいたらしい
また、管理棟脇の公衆トイレもヤバイ
トイレが見付かりません…
>>798
位置関係を再確認してみますと
坂を登ってくると目の前に三階建て程の管理棟がありますよね
そして右奥に外灯があって、管理棟とその外灯の間にコンクリのトイレがあったと思うのですが…
私も最後に行ったのが一昨年の夏だったので、もしかしたら無くなったのかもしれません(‘A`)
トイレというより倉庫みたいになってます…
場所はそこであってますが倉庫でしたか…
自分が行った時は霊感ある同僚が管理棟の窓に霊を見て具合が悪くなり、
早々に退散したので近くまで行かなかったんですよね
勘違い申し訳ありません…
ダムで子供が溺れ死んだり、自殺もあったと聞きました。
0感持ちにはヤバイ場所らしいです。
実況
2回ゴトッゴトッて後ろで響く音、煙草吸ってたら近くで空き缶?を蹴ったような音、実際空き缶無いしどっちも動いては無い…
声は若干しか聞こえなかった
一回車戻りまーす
相方が後ろから音聞いて、横を白いのが通ったのを見たらしく凄いやばぃとの事で戻ってきました…
後は口笛と自分達の手前で足音…
漆沢ダム
小野田なら他には漆沢ダム
管理棟やトイレ近辺は明かりがあるが気持ち悪い
特にトイレからは異様な気配がする
奥に進む道からも圧迫感あり
ダム下の神社も地元民の間では有名なスポット
鍋越峠のトンネル
友人の話では、鍋越峠のトンネルが、ガチでなんか怖いという話なんですが、知っている人いませんか?
車で走行中、いきなり、寒気が走ったらしいんです。
マジで気持ち悪い場所とのことです。
鍋越峠か…。
去年の夏の早朝にバイク走った事があるけど、
峠に入るまでは天気が良かったのに、
入った途端に物凄い濃霧に覆われて数メートル先も見えなくなったなぁ。
それになんというか、周りに車も人も一切居ないはずなのに
誰かに見られている気がした。
それは絶対に人や動物の気配じゃなかった。
でも悪意や憎悪を感じる気配でもなかったな。
オレは山の神様から見られてるんだなと感じた。
人間が立ち入ってはいけない時間、山の神様の時間に入り込んでしまったから
視界を閉ざされたんだと勝手に思ったよ。
「ごめんなさい山を荒らす気はありません 邪魔しませんから通らせてください」
そう念じながら走っていたらいつの間にか霧が晴れて日が射してきた。
それからというもの、峠や山道を通るときには山の神様に敬意を払って走ってます。
長文&乱文スマソ
2chで見る鹿原
小野田大滝
今日、小野田大滝行ってきたよ!
夏目前なのに非常に暗くて雰囲気も不気味。
>>724 乙。できれば詳細希望っす。
滝って、そういえば心霊スポットの定番の割には宮城ではあまりそういうとこ無いよね。
三居沢と八木山の下くらい? 秋保大滝は割と明るいイメージだし、むしろ上流の姉滝の方が夜は怖そうだと思ったよ。
旧花山村の名所の滝って今はどうなんだろう。地震の影響はあるんだろうか。
名前はわからんけど、滝の手前に旧民家の博物館みたいなのがあるところ。
いった季節がよかったので明るくていいイメージしかないんだけど。
>>725
小野田大滝(荒沢の滝、もしくは不動の滝) ↓マップ内のC地点
小野田町史によると以前に雨乞いの儀式の為、生贄となる動物を殺しその屍骸を投げ捨てていた場所。
七段の滝で非常に綺麗な風景だが、滝壺は深く、また水流で一度入ると出て来れなくなる為、近所の子
達にも滝壺には絶対に近づくなと教えられている。そのためか、死体はほとんど浮かび上がってこない。
生贄となった動物達の為に祠が近くに建てられ、また滝の直横には花を供える場所が設置された。
昔から自殺の名所らしく、自分が高校生の時も3年間の間に2回、うちの高校から自殺者が出た。
(本人の靴、もしくは移動用の原付が橋の上にあった為判明したらしい、殆どニュースにはならなかった。)
また父親が環境保全の役員をしているので、死体がまれに浮かび上がることがあるとすぐ解るが、
その稀に浮かび上がる死体の数は年間に10を超えているとの事。
日が当たらず涼しいので夏場によくバイクで行くが、祠の側で白い女性の幽霊を見たことがある。
目、鼻、口がある部分にはなにもなく真っ黒な穴が開いていた。友人と4人でいったが俺ともう一人の
友人しか見えなかった。また、滝に生の肉を持って行ってはいけないと言われている。友人の母親の
話だがその人が若い頃、同窓生と大滝でキャンプをした際に男性二人(双子)がふざけてバーベキュー
に使った生肉を滝壺に投げ込んだ。その帰りに高速道路で事故を起こし死んだ。二人ともそれぞれの
大型バイクで帰ったらしいが全く同じ場所に突っ込んでいたらしい。という話を友人の母親から聞いた。
昔に調べてみたが祠の近くの女性の幽霊と、生肉を持って行ってはいけない、は有名なことらしい。
真夜中に行けば高確率で女性の幽霊を見れるとのこと。(俺が見たときも真夜中だった)
詳細って言われると何書いたら良いか解らんな。
行きたい人いたら言ってくれ。解り難い場所にあるから。
関山
関山は、トンネルのダイナマイト誤爆事故と母子の幽霊の話があるけど
実際どうなんだろう? 幽霊は事実なのかな。
3年前の秋に車で川崎から山越えしたことあるけど、違う意味で怖かった。
道は狭いわガードレール一枚先はVの字の渓谷だわ…よく地図に載ってると思ったよ。
>>866
関山は旧トンネルは先にも行ったけど幽霊が多いわけじゃなくて、非常にたちの
悪い幽霊がなんぼかいる感じだった。(たちの悪いという言い方は非常に失礼だが)
それにしてもそんなに狭いかな? バイクだからあんまり感じなかったなあ。
川原田
小野田だかの幽霊トンネル
ずいどうじゃないけど、小野田だかの幽霊トンネルの話ならしょっちゅう聞く。
俺の塾の先生が体験した話。
昼過ぎに、たまたまそのトンネルの付近まで来たので、友人と一緒だし、まだ昼間だから怖くないだろ。ってことでそこに行ったんだと。
地元の人達の話によると女の霊が出てエンジンを止めたり車の上に乗っかってくるとのこと。
塾の先生はそういう話はあんまり信じていないため、「出るもんなら出てみろ!」の精神でトンネルに行った。
トンネル内にはいってみる。だが、地元の人が言うようなエンジンが止まったりするようなことが無い。
「やっぱ昼間だし出ないのかね」とか友人と話していたらトンネルを抜けてしまった。「戻るか」ということでUターンして戻る。
そしてトンネルを抜けようとするとき「何も出ないな。とんだ期待はずれだったな」と言ってトンネルを抜けた瞬間、
「ビチャッ」と何かがフロントガラスにかかった。
透明な水のような液体(水だったのかも)がバケツをひっくり返すように落ちてきた。
その日は夏で、天気も晴れていた。前日の雨もなく、液体が落ちてくるのはありえない。
そのあとしばらく二人は放心状態で、我に返った友人が「く、車出してくれ」と言って恐怖しながら帰ったそうな。
小野田町の山の中の大滝
小野田町の山の中の大滝で
滝壺に引きずり込まれる感覚に襲われた人いない?
あそこって周り良く見たら色々あったみたいだし
空気が重い。。。
大滝は20年以上前に奥さんが滝に落ちて助けようとした旦那も一緒に亡くなりました。
先輩の両親なんで間違いありません。その後先輩の家では台所で料理作る音がしたり怪奇現象が続いたらしいです。
あと隣町の女性が大滝の近くをさまよい歩くのを近所の人が発見して家に連れて帰ったのに、
その晩に大滝に投身自殺したとか自殺も多いです。
肝試しに四人で行ったら火の玉みたり橋の上で光をみたり三人が見ましたよ!
滝に到着するまで運転手は理由もなく涙が止まらない現象もあったしね!
>>757大滝てドライブインあるとこだよね?
俺の霊体験は人生に2つしかないんだが(もう1つは山形の滝不動)
直接体験したわけじゃないけど小学生の頃、親父に「家で霊関係の話ないの?」と言って聞いた話。
俺が4歳の時の家族のドライブで、滝の前で写真撮ったらしいんだが、
出来た写真には滝の中に物凄い数の顔が写ってて、これはヤバいだろと供養して燃やしたらしい。
こっち系は全く信じない家族だしとくに親父は「心霊写真なんてバカくせぇ」言うタイプだからびっくりでこの話はよく覚えてる。
レス見ててやっぱなんかあるんだここーてオモタよ
大滝
小野田に住んでる親戚から大滝の話を聞いた。昔からあそこは死ぬときは必ず2人死ぬらしい。
滝の少し上のほうは流れが緩やかな小川でキャンプなんかができる。
で、あるとき夫婦でバーベキューをしにきてた人がいて奥さんが間違って川に流された。
それを助けようとした旦那も飛び込んだが2人とも帰らぬ人に…
本当に小さい川なんだがコケのせいかよく滑るらしい。
他にも子供を助けようようとして父親が…とかそういう事件が沢山あった。
滝自体は小さいんだが滝壺が変に深いすり鉢状で、飲み込まれると上がってこれないし遺体は浮かんでこない。
ちなみに上に書いた夫婦は親戚が良く知っている人だった…
>>512
5~6年前に薬○山のその場所に行きますた。
友達の彼氏と友達と自分の3人で。
私の運転で、助手席に友達、後部座席に友人
の彼(この彼が怖いもん知らずで、霊とかを
全く信じてない。葛岡墓地とかで1人で寝て
きたりする人)を乗せて行ったんですが、
ヤクライサンに近づくにつれ快晴だったのに突然どしゃぶり。
しかも車のデッキがおかしくなって音楽がかから
なくなりました。さすがに怖くなってきて、会話も大滝につく頃には
なくなってました。雨もすごいし、怖いし、車から降りるのは
やめようと説得して近くの駐車場らしきところで急いで
Uターン。4号に出る頃にやっと会話ができました。。。
と、急に友達の彼氏が「おまえらが怖がるから黙ってたけど
Uターンしてるとき、青い光が飛んでたよ」と言ってました。
それ以来、たまにいるはずのない人をみたり、気配を感じるように
なりなすた。うう。
>>512>滝自体は小さいんだが滝壺が変に深いすり鉢状で、飲み込まれると上がってこれないし遺体は浮かんでこない。
川に流されたり、沢登りで死ぬ人の典型例の一つらしいですよ。
滝壺とか淵は、水流の関係で力が一点にかかる場所があるらしく、
そういうところに捕まると、上からすごい力で川底に押しつけられる
らしい。 んで、その遺体を見つけて、助けにいってまた…。
もしかしたら、小野田の大滝はそれの強力(凶悪?)なものなのかも
しれませんね。 とても怖いです。
ベテランの沢登り愛好家と山岳救助の人から聞いた話です。
「つぶれたカエルみたいにビターって川底にはりついてんだよ。
そいうの見つけたら、助けに行ったら駄目だ。自分も引きずり
こまれっから」って言ってました。
昨日の夜、せっかく書き込みにレスをもらったことだし、親戚に聞いた他の話も書こうとしたら物凄い寒気が…
真夏でエアコンもつけてないのに…おまけに部屋の隅々からラップ音が…
ということで、書き込みを控えます。ヘタレで申し訳ない…
宮崎
宮崎城跡
宮崎なら宮崎城跡
旧宮崎町役場裏手の川を越えて熊野神社方面にある
宮崎城は葛西大崎一揆の時に城兵がほぼ皆殺しにされたいわくがある場所
田代峠
お邪魔します
田代峠は昔自衛隊機が墜落した処かな?UFOの基地があるという噂があったような・・・
フォーラスは地下に霊がいると話している人がいました
>>635
はっきり見てはいないがいると思う・・・
棚卸なんかで遅くなった時に妙な音や声はけっこう聞いたし
同じ地下にある他店の人との話でもそんな話がよく出てたな
あと上のほうの階にも出るみたいだよ(なんかあったみたいだし)
警備の人も地下と5階は気味悪いって言ってたな
つうかあの界隈ってそういう噂も多いよね
>>635 そうだよ、自衛隊のセイバー?だかスーパーセイバーが
墜落した現場。 その墜落のしかたが不思議だったため
「UFO説」に勢いがでた。
田代峠のUFO奇談
禁断の田代峠奥
高橋コウ(山梨県)の手記
◎タブーの山への挑戦
私の住んでいる山形県最上町は、宮城秋田両県の県境に近い場所で、
奥羽山脈のほぼ真ん中に位置している海抜二、三百米の山里です。見渡す限りの険しい山々と、
深い渓谷に囲まれていて、すぐ近くには広い傾斜の続く高原が眺められます。
名だたる豪雪地としても有名ですが、陽春の候ともなりますと、どこを歩いてもぜんまい、
わらび、山うどなどの山菜が豊富に採取されます。
私は山菜取りが好きで、人様から名人級などとおだてられるくらいに、質がよくて
太いぜんまいやわらびを探すのが得意なのです。
長い間の経験と、好きな道だからこその工夫などが原因だと思います。
ところが、附近の連山をくまなく歩き回っていて山のベテランと自他共に許す私も、
ある特定の区域だけは足を入れたことがないのです。
それは、山形宮城両県境にまたがる田代峠から、更に入った山奥の附近です。
地形がきわめて複雑なこと以外には、何の変哲もなくて、深い谷が多く湿地が続いている山地ですが、
地元の人々は古来から、この地域に行った者は、再び戻ってこないとか、
運よく帰れても発狂してしまったり、突発的事故死が起きると伝えられています。
地獄の山との別名もあって、山登りはもちろん、山菜取りの人も恐れて
近寄らないくらいタブーの山でもあります。
太平洋戦争の末期に日本内地を移動中の旧海軍双発飛行機一機が、
地元住民の誰もが視認している中で、田代峠奥地の上空で急に
飛行中の機体が空中爆発して墜落した事件がありました。
捜索に出向いた現職警察官と数名の消防団員達は、地元古老の制止を振り切って入山したまま、
杳として消息を絶ち、更に救援に赴いた少数の海軍兵士さえ、行方不明になってしまいました。
数年前の冬です。今度は陸上自衛隊のヘリコプター機が訓練飛行中に、
田代峠奥地と推定される場所で、危険緊急電報を打電したきりで、不明になったことがありました。
空中からの捜索は行われましたが、近代装備を誇る大勢の自衛隊員が来ましたのに、
なぜか現場と覚しい所までは直行せずに、何も回収しないで帰ってしまったのです。
私ならずとも、そこに何かあるはずだと思います。
しかし、昭和五十年代のご時世に、迷信や非科学的な現象が存在するはずがありません。
ようし、誰もが嫌がって行かないなら、山男ではないが山女の名にかけて私が行ってやろう。
そして、どんな物があるのか、いかなることが起きるのかを、
私自身のこの目で確かめてやりたいと決心しました。
五十歳をすぎた私には、異常な決意だったのですが、独身で気楽な会社勤めの上の息子に相談しますと、
「お母さん、それだけは止めたほうがよいと思うよ。
何百年も人間が入っていない場所だから、ぜんまいのすごいのがあるだろう。
だが、禁制を破って入り、あとで気ちがいになったり、早死してはつまらないからなあ」
と、てんで乗ってこないのです。そう言われるほど闘志が湧き上がる私は、
「おやっ、今どきの若い者にしては、珍しい縁起かつぎだわねえ。
そんなら、私一人で這ってでも行って来ますよ」
そう宣言しますと、仕方なさそうに、
「しようがないなあ。それでは、田代峠の近くまでは車で案内するよ。
だけど、近づいて眺めるだけ。それ以上は山に入らない約束をすれば一緒に行ってもよいよ」
しぶしぶの返事でした。
◎不思議な洞窟の老婆
息子は休暇をもらい、長年の教員生活から解放されて気楽な恩給暮らしの私との二人は、
昨年五月十日の晴れた日に、宿願の田代峠に向かいました。
山と高原のだだっ広い私の町は家から峠まで二十粁(キロメートル)以上もあるのです。
未舗装のでこぼこ道を車にゆられて行きますと峠より相当離れている手前に、
屋敷台と称する数軒の小落がありました。
車はそれ以上進めません。
駐車させてほしいと、一軒の家を訪れました。
わらぶきの屋根と、手造りの荒い柱が目立っていて、電灯もありません。
黒ずんだランプが印象的で、現代では想像もつかないくらいに、古風なたたずまいでした。
この辺では、他家の人間と会うことが珍しいらしくて、底抜けの善意を示してくれましたが、
田代峠から奥の山の地理を尋ねますと、上機嫌だったこの家の主は、急に険しい顔つきになって、
「お前さん方よ。わしらのような山歩き商売の者でさえ、峠から向かい側には足を入れないのだ。
止めた方がよいと思う。一歩でも踏み込むと、得体の知れないものがあって、必ず災難が振りかかってくる。
わしが知っているだけで、何人かが命を落とした。あそこだけは止めなさい」
こう言って、山菜取りには予備の食糧がいるだろうと、
小動物のくん製肉をたくさん持たせてくれました。
峠まで歩きましたが、八粁足らずの道程だと思っていましたのに、
背丈ほどもある熊笹をかき分けるのに手間どって、予想外に時間を費やしてしまい、
日の長い五月の一日も暮れようとしていました。
山のベテランともなると、用意のテントも持参していますし、野宿は平ちゃらです。
さすがに人跡未踏のこのあたりでは、見たこともない超良質のぜんまいが
そこら中にあって、うなっていました。
今晩は泊まり、明日は一日中かけて、山菜を集めれば、運び切れない
ほどのえらい数量のぜんまいを確保できそうだ。
二人で採れば六十キロは超すに違いない。乾燥しても六キロは出ると計算しました。
キロ当たり一万ですから、六万円以上になりそうだと、
われながらみみっちい計算をしていました。
突然、私達の目の前に老婆が現れました。初夏の日暮れの逆光線を浴びて、
音もなく姿を見せたとき、私と息子はぎょっとしたのです。
乱れた髪としわだらけの顔はよいとしても、ぼろ切れなのか南京袋をほごしたものなのか、
衣裳めいたのを身にまとって、帯の代わりに蔦を使っています。
どうしてもこの世の人とは思えない形相でした。
地底から涌き出るような声をしぼって、何やら尋ねているのです。
私は山の衆と言われている独特の〝またぎ〟の言葉も知ってますが、それとも違うようでした。
判ずると、お前さん方はどこに行くつもりなのか。
峠から向こうには行ってはいけない。
今晩はおそいから自分の住処に泊まっていけ。
そんな意味でした。
案内された住処というのは、山の中腹に掘った洞窟でした。
家財道具らしいものは何もないのです。洞窟内の地べたに炉を作っていて、
手製らしい土鍋の中には、とうもろこしと、何ともわからない肉片の塩じるでした。
鍋ごと食えとのことでしたが、盛り付ける茶碗や皿がなかったのです。
水のしずくがしたたり落ち、がらんとした洞窟は、松やにの灯に黒ずんだ
岩肌が不気味に光っていて、休むどころではありません。
老婆の姿をしげしげと眺める毎に、原始的な服装と動作のテンポが常人と違っていて、
なぜこんな山奥に独りで生きているのか、分からなくなってくるのでした。
言っていることは、半分ほど理解されましたが、「お前さん方は、翌朝になったら、峠から戻ってくれ。
一歩でも入ったら、どんな災難が降ってくるかも知れない。
うちの旦那は、あそこに出掛けたきり戻って来ないし、
最近では、地図作りのお役人さんと営林署の人が、止めるのも聞かずに行って、
次の日には死体となって烏や鷹の餌になってしまった。悪いことは決して言わないから、必ず実行してくれや」
との意味でした。予想通り、普通の人間が現場に近寄ると、
なにかの理由によって、不幸な事態になるらしいことは、彼女の言によっても了承できるのでした。
でも、その正体を突きとめたい気持ちも十分にありました。
◎空中に体が舞上って
次の日の朝早く、帰る振りをして、お婆さんに謝して洞窟を出た二人は、少しばかり戻ってから、
問題の場所を確かめようと話し合いました。
人工衛星のとび交うご時世に、婆さんの言うような馬鹿なことがあってたまるかいとの息子の提案に、
好奇心きわめて旺盛な私が一も二もなく賛成したからです。
ひどい道中になりました。ばら科の植物と強じんなつるの多い茎がからみ付き、
足を取られ大変な難行軍になりました。一歩一歩が汗だくになり、必死の歩行なのです。
二粁ほども進んだと思います。参ってしまうなあと奥山に進んだのを後悔し始めましたが、
今更引き返すことはできません。
「お母さん、前の方が変な色に変わってきたよ」
息子は、ばらとの闘いの苦しい道程が終わりそうになった時、私に問いかけました。
私自身も先刻から、数百米ほども前方に淡い青のまじっている緑色のガスか霧に似たものが突然に発生して次第に大きくなり、
こちらの方角に進んでくる感じを気にしていたのです。
長い期間山歩きを過ごしてきた私には、このような色彩のガスを経験したこともありませんし、
発生する場所と湧き上がり広がる工合も、常識では判断できない現象でした。
この時刻と現在の天候状態では、ガス、霧ともに湧くはずがないのです。
これが田代峠の奥に存在すると言われている不明の正体なのかと、
さすがにぎょっとして足を停めようとしましたが、自分の意志とは正反対に、
足の方で動きをとめてくれません。私より数歩だけ前を進んでいた息子も同じ思いだったそうです。
ガスはますます濃くなって、私達の方に向かって輪を広げてきて、
私達は見えない引力にずるずると引き込まれていくのでした。
前を歩いていた息子が、真青な顔を私に向けて叫びました。
「お母さん。これ」山歩き用に使っていて、私が息子に持たせておいた
大型の携帯用羅針盤を指差していました。あとは恐怖で言葉が出ないらしいのです。
必ず北を示していなければならない指針が、無暗にぐるぐる回るだけで、
不安定な針先はどこを差しているのか見当がつきません。そんな信じられないことがと、
羅針盤を水平に持ち直しても、同様に針は固定せずに大きく回ったり鋭く振れ動いて、決まった所を差さないのです。
不安定な振れがおさまると、前方の方角に固定してしてしまいました。
初夏の太陽の方向と言えば、東か南です。磁石の北に向くべき針が、東南に。
あり得べからざる事態に仰天してしまいました。
そして、指針に向かって私達の身体までが、吸い込まれるように動かされていることに気付きました。
あっと言う間に延びてきた緑の気体が、私達を包んだようでした。
くんくん鼻を鳴らして嗅いだ私は、ガスか煙霧に似たこと気体は酸素と窒素からなる空気でなくて、
説明のしようもない別の成分の気体ではなかろうかと直感しました。
緑のガスを大きく吸い込みますと、すうーっと肺の中までしみる快いものを覚えました。
と、同時に、急に身体が軽くなりました。普通に歩いたつもりだったのですが、
足を踏み出した瞬間に、ふあふあした自分の身体は二米も高くとび上がった感じで、
そのまま十米ぐらい前方に音もなく降りる感じでした。
映画のスローモーションフィルムと同じような動作だと思い、
突然に地球の引力がなくなってしまったのでは、
いやあるにしても何分の一かに減ってしまっているのです。
私だけではありません。突然の変化で、前を進む息子は恐怖におびえた顔を、
間の抜けたスローモーション動作を示しながら振り返って見せているのです。
第二歩を空中に躍らせた時、高い空を見上げました。空は青色に決まっていますし、
数秒前には間違いなく青だったはずなのに、紫に変わっていました。ただの紫ではありません。
抜けるように濃くすき通って眺められる紫の色でした。
そんな馬鹿な話ってあるものですか、そう感じました。
次には、ふんわり降りる際に、地上に目をやったのですが、
たった今まで苦闘したばら科植物と蔦が消えていて、砂地になっているのです。
しかも、この地方で見る土砂でなくて、何時か九州の海岸に遊んだ時に手につかんだ砂に似ています。
まばゆく輝く水晶とも思われる石英がまじっているなあと思いました。
山の中に海浜の波打ち際に見られる砂があるとは、私は混乱してしまいました。
◎UFOの基地か?
もう一つの奇怪な現象に、はっとしました。
ガスを通して見える五百米ぐらいの先の小高い山の中腹が、
がらん洞の洞窟らしい穴になっていて、その穴に向かって風が吹いているのです。
附近の気体の流れが、その穴に対して集中しているみたいでした。
つまり、直径一粁もありそうな得体の知れない砂地の真上を、穴を中心点とした場所へ、
四方八方かたのかなり強い風が吹いているようだったのです。
木や葉は全く生えていません。緑のガスが一面にただよっている外に、近づいて分ったのですが、
小高い山と覚しい露出している山肌は緑色の泡で包まれていたのを発見しました。
しゃぼん玉遊びをするときや石鹸から出る泡と同じような泡ですが、なぜか緑色の小粒の泡です。
かなり強い風があるのに、地面に着いて離れないでいるのです。
どこから何のためにと、私の頭は狂いそうになってしまいました。
地球上の動植物で、こんな泡を出すものは聞いたことがありませんし、
気象学の方面でも見聞きしていません。
大洞窟に近づいた私が、右手で地面に吸いついている泡を握った時に、
納豆のような粘っこいものがからんで消えずに残り、手の平は真赤になりました。
緑から朱に変わったことと、熱い感じだったのを記憶しています。
この小区域だけは地球上にありながら、別の未知の天体のようになっているらしいことと、
緑色に光っている泡自体が、確かに生きているのを確認したように思われたことです。
大洞窟に吸い込まれるように入った私達は、がらんどうではなくて、
雑多なものが天井や岩肌にぺたぺたと張り付けられているのに気付き、
何故か鉄片を吸いつける磁石のような働きをする内部の岩壁に驚きました。
二十米もあろう高い天井に、にぶく光る物体を見つけ、取ろうとしてジャンプしました。
ここは引力が極端に弱くなっているせいか、私でさえも楽にとび上がれるのです。
緩慢な動作でしたが、身体がふあーっと空中に躍り、難なく届きました。
縦横十糎(センチ)のも足りない銅合金の板でしたが手にして読むと、
確かに「金星発動機五二型昭和十九年製三菱航空機株式会社」と刻み込まれていた記憶があります。
後になってから、旧海軍に在籍したことのある方にたずねますと、
中型の陸上攻撃機とか称する飛行機用エンジンの名称板だと教えてくれました。
そうしますと、戦争中にこの附近で不明になった海軍機のものになります
でも、大きな図体のジュラルミンや鉄片と人間の姿が見えなかったのは何故だろうかと疑えるのです。
地面に散らばっていたものも、銅製品であるまいかと思われる物体が多くありました。
鉄やアルミ合金などは溶けてしまい、銅だけが残されていた感じでした。
その外には、何百年か以前のものらしい百姓民具のうち、
銅製品の鍋や萓合羽の支え具らしいのも散らばってました。
タイムマシンの世界に踏み込んだ思いで、私は息子へ目で合図して、
いわくありげな洞窟から逃げようとしました。口は利けなくなっていました。
強い風力に抵抗して脱出するのは相当の苦痛でした。
洞窟から出た途端に小高い山のいただきあたりから、
白昼ですが写真のフラッシュよりも強烈な光線を浴びた感じでしたが、目がくらんで倒れたように思います。
これも後で聞いたのですが、息子は一遍は倒れたけれども再び起き上がって、
夢遊病者のように前の道を歩いて帰ったようだった、と言っています。
そのへんは、はっきり分からないのですが、フラッシュに似た光は、
白くはなくて緑色の光線だったと断言できるのです。
何時間過ぎたのか分かりませんでしたが、ふと、目を覚ましますと、
私と息子の二人は、前に申し上げました老婆の住む洞窟の前に倒れていたのです。
起き上がった私達は、ほら穴に入ってみますと、人影はおろか確かにあった諸道具は、
何一つなく姿を消しているのです。
そして炉端だった土面から泡が涌き出ていました。
例の緑色に輝き光る泡が、生きもののようにうごめいているのでした。
私達が四日間も家に戻らなくて、大騒ぎになっていることも知りました。
それから、息子の方は二カ月ばかり安静してから、元の健康体に回復しましたが、
私は現在でも近くの市にある精神科病院に通っています。
先生から、高空に長時間いたための症状に似ていると診断されましたが、誰も私の話を信用してくれません。
ですが、私だけではなしに息子も奇怪な体験をしているのです。
私達は、信じられない現象を自分の目で確かめて、あそこの場所はいったいなんだろうかと考えましたが、
地球以外の天体からやって来て、少なくとも何百年の間も、
UFOなどの未確認物体を誘導する地球基地ではあるまいか。
洞窟に住んでいたお婆さんは、老婆に姿をやつした他天体からの派遣員だとも信じられるのです。
いくら考えても分からないのが緑色の泡でした。
地球人の私達には理解できなかったのですが、自在に色彩を変化させ、
超短波のような電波を発信して、通信の役目を果たしているとしか想像できません。
田代峠の山地に、複数の人間がこの目で確認しても、誰も本気にしてくれないことを情なく思います。
長文スマソ。
上記の文は数年前にどこかのホームページでも掲載されていたもので
既知の人もいると思うけれど、出稿元が不明で誰かの作り話だろうということで
長らく放置されていたけれど、最近再度調べてみたところ、
どうも下記の雑誌のものが元のようです。
「婦人公論」中央公論社 1979.8
※田代峠での体験談を高橋邦安が高橋コウ名義で発表
※単行本未収録
婦人公論社であれば信憑性も考えられる。
事実であれば山形には国内で最も恐ろしい所があるんだと感じた。
>>123
あれ?空自の戦闘機だかも墜落したんじゃなかったっけか?(昭和50年代)
あと蔵王にもB29が落ちたって近所のじいさんが言ってたっけw
墜落するときに煙を噴いていて、「ざまぁみろ」と思ったらしいww
で、日本飛行機の連中(山形西高にあった工場)がいろいろ調査やら回収らやに行ったらしい。(これも当時の工場関係者に確認済み)
>>136
空自の戦闘機の件は正しくは昭和40年代の事でしょうか?
ただ上記の文章には昭和50年代に陸自のヘリコプター墜落の事件があったとも書いてありますが、
この事でしょうか?
更にもう一件この付近で飛行機が墜落しています。
昭和43年1月の事件でやはり航空自衛隊の練習機が墜落しているんです。
この件に関しては文末のURLに実際に当時捜索に当たった人の談話の事が載っています。
また、文中に書いてある戦時中の双発機墜落の事件に関してはネットで航空史の関連記事で検索していますが、
今のところ資料がでてきていません。
地元山形の図書館等で調べるのが良いのですが、当方は県外在住者の為に資料が見当たりません。
しかし、こうも特定の山地で墜落事故が多いという事実はどういうことなのでしょうか?
<田代峠のUFO奇談>
http://www3.ic-net.or.jp/~motokazu/zousetu_site/UFO1.htm
過去にテレビ番組でやっていたのをみたときありますが、戦時中に田代峠で墜落したのは一式陸上攻撃機です。
記憶が正しければ、米海軍の戦闘機グラマンF-6Fも墜落したと番組内で報道されていたと思います。
次いで昭和に入ってから墜落したのは・・・・旅客機ですね。
空自のほうは松島基地所属の練習機だったと思います。
B-29が墜落した件ですが、山形県立図書館に「ロケット戦闘機物語」という本が置いてあると思います。
自費出版の本ですが、当時山形で作られていたロケット戦闘機秋水のことについて詳細に書かれた本です。
そこに蔵王に墜落したB-29についての記述があったと思います。
ちなみに自分が初めて墜落したことを聞いたのは数年前に地元の爺様方の話に混ざって聞いていたときでしたので、
ホントかはわかりませんでした・・・
でも一応確認が取れたのがせめてもの救いでした。
ウチの爺ちゃんは軍需工場の工場長だったらしい。
戦後まもなく病死してるので直接聞けんのだが、工場が空襲の
被害を受けた事は無いようですな。
あと、田代峠に墜ちたのは一式陸攻で間違い無いらしい。
おー、山形市内の向上に爆撃があったと言うのは違うのね。
そういえば、B-29が落ちた話は、私ゃ社会の先生から聞いたよ(中学生のときだっけかな?)
本当の話なんだね~。
>>140
どこの工場でしょうか?山形市内の工場は3つほどありました。
有名なものでいえば現在山形西高校の地にあった「日本飛行機」(通称:日飛)の工場が最大だったと聞きます。
現に当時の航空写真を見ても、霞城公園よりもでかい敷地面積を持っていました。
もしその工場の工場長だとしたらスゴイことですよ。
なんたって起死回生の新兵器を開発していた工場ですから・・・!
>>142
爆撃・・・と言うよりも銃撃が近いでしょうか?(まぁどちらにしろ空襲には違いないんですが)
だいたい漆山付近とは聞いています。(もしくは北山形あたり?)
さて、田代峠の飛行機墜落なのですが・・・・
よく分からんことだらけでいっぱいです。。。。orz
>>143
そんなデカい工場じゃなくて、弾薬とか作ってたみたいです。
直接聞けないのが残念…。
起死回生の兵器って、ひょっとして「富嶽」?
だったら凄い!
けどあれって計画のみで試作機も無かったような。
あとBー29は、山越えて宮城側に墜落したって話を聞きました。
どれだけ凄い装甲なんだよとw
>>145
弾薬ですと、ちょっと市街から離れていた場所の工場かもしれませんね。
起死回生の兵器とは、本土防空用にドイツより輸入したロケット戦闘機「秋水」のことであります。
量産1号機が製作されたのは山形だったのです。(ちなみに生産されたのはこの1機のみ。試作機は2機あり)
ちなみに日飛は三菱系の工場で、当初は93式練習機と呼ばれる練習機を作ってました。
(先日放送された「僕たちの戦争」の冒頭で出てきた複葉機のモデルがこの機体です)
45年になり、空襲の被害を受けていない山形で量産が決定されました。
もっと詳しく知りたいのならばレス下さい。
ちなみに富嶽は中島飛行機という会社が設計した機体でしたが、設計図だけで終わった機体でした。
B公が落ちたのはそっちのほうでしたか(苦笑)近所のじいさんが見たのは煙を噴いたB公だったんだなw
>>144
すいません。>>139は自分です。
田代峠の調査なのですが、今暇が無く図書館に行くことができないので来月あたりに県立図書館で調査してみます。
>>148
定期的に開放されているらしいですね。
もし見に行くとしたらそのときだけでしょう。
不謹慎ながら、自分は軍事史などを調査しており、先の戦争で亡くなった方々の慰霊のためにもここに書き込んでいます。
もし行かれるならば、合掌してあげてください。
お願いします。
>>149
おぉ!秋水でしたか。秋水が山形で作られてたとは初耳です。
親父も戦後生まれなので、工場の場所は詳しく知らないとの事。
ちなみに爺ちゃんは県職員だったそうです。
>>150
昨年夏にドキュメンタリー番組を制作した際、県の文献を見て調べたりしたのですが
秋水に関するほぼ皆無に近く、挙句の果てには防衛庁にまで問い合わせる始末・・・(苦笑)
でも、山形県某市に秋水の製作責任者の方がご存命で詳しい話を聞くことが出来ました。
一番すごいと思ったのがこの山形で秋水を作ったことに誇りを感じていることと、記憶が鮮明だったことですね。
あと、試作機の試験飛行の際にも立ち会って飛行の様子を見ていたそうです。
これが有名な秋水の墜落事故のときだったそうですが・・・・・
県職員だったのですとどこかに資料が残っているかもしれませんね。
2chで見る禁断の田代峠奥
840名前:長文スマソ投稿日:02/02/1807:04
よそからのコピペ。私は怖いというよりぞっとした。誰も入ることの出来ない
聖(?)域が今だ日本に残ってるかも?と考えるだけでワクワクする。
多分筆者と息子はデムパだけど。
禁断の田代峠奥
高橋コウ(山梨県)の手記
◎タブーの山への挑戦
私の住んでいる山形県最上町は、宮城秋田両県の県境に近い場所で、
奥羽山脈のほぼ真ん中に位置している海抜二、三百米の山里です。
見渡す限りの険しい山々と、深い渓谷に囲まれていて、
すぐ近くには広い傾斜の続く高原が眺められます。
名だたる豪雪地としても有名ですが、陽春の候ともなりますと、
どこを歩いてもぜんまい、わらび、山うどなどの山菜が豊富に採取されます。
私は山菜取りが好きで、人様から名人級などとおだてられるくらいに、
質がよくて太いぜんまいやわらびを探すのが得意なのです。
長い間の経験と、好きな道だからこその工夫などが原因だと思います。
ところが、附近の連山をくまなく歩き回っていて山のベテランと自他共に許す私も、
ある特定の区域だけは足を入れたことがないのです。
841名前:長文スマソ投稿日:02/02/1807:07
それは、山形宮城両県境にまたがる田代峠から、更に入った山奥の附近です。
地形がきわめて複雑なこと以外には、何の変哲もなくて、深い谷が多く湿地が続いている山地ですが、
地元の人々は古来から、この地域に行った者は、再び戻ってこないとか、運よく帰れても発狂してしまったり、
突発的事故死が起きると伝えられています。
地獄の山との別名もあって、山登りはもちろん、山菜取りの人も恐れて近寄らないくらいタブーの山でもあります。
太平洋戦争の末期に日本内地を移動中の旧海軍双発飛行機一機が、
地元住民の誰もが視認している中で、田代峠奥地の上空で急に飛行中の機体が空中爆発して墜落した事件がありました。
捜索に出向いた現職警察官と数名の消防団員達は、地元古老の制止を振り切って入山したまま、杳として消息を絶ち、
更に救援に赴いた少数の海軍兵士さえ、行方不明になってしまいました。
数年前の冬です。今度は陸上自衛隊のヘリコプター機が訓練飛行中に、
田代峠奥地と推定される場所で、危険緊急電報を打電したきりで、不明になったことがありました。
空中からの捜索は行われましたが、近代装備を誇る大勢の自衛隊員が来ましたのに、
なぜか現場と覚しい所までは直行せずに、何も回収しないで帰ってしまったのです。
私ならずとも、そこに何かあるはずだと思います。
しかし、昭和五十年代のご時世に、迷信や非科学的な現象が存在するはずがありません。
842名前:長文スマソ投稿日:02/02/1807:09
ようし、誰もが嫌がって行かないなら、山男ではないが山女の名にかけて私が行ってやろう。
そして、どんな物があるのか、いかなることが起きるのかを、私自身のこの目で確かめてやりたいと決心しました。
五十歳をすぎた私には、異常な決意だったのですが、独身で気楽な会社勤めの上の息子に相談しますと、
「お母さん、それだけは止めたほうがよいと思うよ。何百年も人間が入っていない場所だから、
ぜんまいのすごいのがあるだろう。だが、禁制を破って入り、あとで気ちがいになったり、早死してはつまらないからなあ」
と、てんで乗ってこないのです。そう言われるほど闘志が湧き上がる私は、
「おやっ、今どきの若い者にしては、珍しい縁起かつぎだわねえ。そんなら、私一人で這ってでも行って来ますよ」
そう宣言しますと、仕方なさそうに、
「しようがないなあ。それでは、田代峠の近くまでは車で案内するよ。
だけど、近づいて眺めるだけ。それ以上は山に入らない約束をすれば一緒に行ってもよいよ」
しぶしぶの返事でした。
843名前:長文スマソ投稿日:02/02/1807:10
◎不思議な洞窟の老婆
息子は休暇をもらい、長年の教員生活から解放されて気楽な恩給暮らしの私との二人は、
昨年五月十日の晴れた日に、宿願の田代峠に向かいました。
山と高原のだだっ広い私の町は家から峠まで二十粁(キロメートル)以上もあるのです。
未舗装のでこぼこ道を車にゆられて行きますと峠より相当離れている手前に、屋敷台と称する数軒の小落がありました。
車はそれ以上進めません。
駐車させてほしいと、一軒の家を訪れました。わらぶきの屋根と、手造りの荒い柱が目立っていて、電灯もありません。
黒ずんだランプが印象的で、現代では想像もつかないくらいに、古風なたたずまいでした。
この辺では、他家の人間と会うことが珍しいらしくて、底抜けの善意を示してくれましたが、
田代峠から奥の山の地理を尋ねますと、上機嫌だったこの家の主は、急に険しい顔つきになって、
「お前さん方よ。わしらのような山歩き商売の者でさえ、峠から向かい側には足を入れないのだ。
止めた方がよいと思う。
一歩でも踏み込むと、得体の知れないものがあって、必ず災難が振りかかってくる。
わしが知っているだけで、何人かが命を落とした。あそこだけは止めなさい」
こう言って、山菜取りには予備の食糧がいるだろうと、小動物のくん製肉をたくさん持たせてくれました。
844名前:長文スマソ投稿日:02/02/1807:12
峠まで歩きましたが、八粁足らずの道程だと思っていましたのに、背丈ほどもある熊笹をかき分けるのに手間どって、
予想外に時間を費やしてしまい、日の長い五月の一日も暮れようとしていました。
山のベテランともなると、用意のテントも持参していますし、野宿は平ちゃらです。
さすがに人跡未踏のこのあたりでは、見たこともない超良質のぜんまいがそこら中にあって、うなっていました。
今晩は泊まり、明日は一日中かけて、山菜を集めれば、運び切れないほどのえらい数量のぜんまいを確保できそうだ。
二人で採れば六十キロは超すに違いない。乾燥しても六キロは出ると計算しました。
キロ当たり一万ですから、六万円以上になりそうだと、われながらみみっちい計算をしていました。
突然、私達の目の前に老婆が現れました。初夏の日暮れの逆光線を浴びて、
音もなく姿を見せたとき、私と息子はぎょっとしたのです。
乱れた髪としわだらけの顔はよいとしても、ぼろ切れなのか南京袋をほごしたものなのか、
衣裳めいたのを身にまとって、帯の代わりに蔦を使っています。
どうしてもこの世の人とは思えない形相でした。
地底から涌き出るような声をしぼって、何やら尋ねているのです。
私は山の衆と言われている独特の〝またぎ〟の言葉も知ってますが、それとも違うようでした。
判ずると、お前さん方はどこに行くつもりなのか。
峠から向こうには行ってはいけない。今晩はおそいから自分の住処に泊まっていけ。
そんな意味でした。
845名前:長文スマソ投稿日:02/02/1807:13
案内された住処というのは、山の中腹に掘った洞窟でした。
家財道具らしいものは何もないのです。
洞窟内の地べたに炉を作っていて、手製らしい土鍋の中には、とうもろこしと、
何ともわからない肉片の塩じるでした。
鍋ごと食えとのことでしたが、盛り付ける茶碗や皿がなかったのです。
水のしずくがしたたり落ち、がらんとした洞窟は、松やにの灯に黒ずんだ岩肌が不気味に光っていて、
休むどころではありません。
老婆の姿をしげしげと眺める毎に、原始的な服装と動作のテンポが常人と違っていて、
なぜこんな山奥に独りで生きているのか、分からなくなってくるのでした。
言っていることは、半分ほど理解されましたが、
「お前さん方は、翌朝になったら、峠から戻ってくれ。一歩でも入ったら、どんな災難が降ってくるかも知れない。
うちの旦那は、あそこに出掛けたきり戻って来ないし、
最近では、地図作りのお役人さんと営林署の人が、止めるのも聞かずに行って、
次の日には死体となって烏や鷹の餌になってしまった。
悪いことは決して言わないから、必ず実行してくれや」との意味でした。
予想通り、普通の人間が現場に近寄ると、なにかの理由によって、不幸な事態になるらしいことは、
彼女の言によっても了承できるのでした。でも、その正体を突きとめたい気持ちも十分にありました。
846名前:長文スマソ投稿日:02/02/1807:14
◎空中に体が舞上って
次の日の朝早く、帰る振りをして、お婆さんに謝して洞窟を出た二人は、
少しばかり戻ってから、問題の場所を確かめようと話し合いました。
人工衛星のとび交うご時世に、婆さんの言うような馬鹿なことがあってたまるかいとの息子の提案に、
好奇心きわめて旺盛な私が一も二もなく賛成したからです。
ひどい道中になりました。ばら科の植物と強じんなつるの多い茎がからみ付き、足を取られ大変な難行軍になりました。
一歩一歩が汗だくになり、必死の歩行なのです。二粁ほども進んだと思います。
参ってしまうなあと奥山に進んだのを後悔し始めましたが、今更引き返すことはできません。
「お母さん、前の方が変な色に変わってきたよ」
息子は、ばらとの闘いの苦しい道程が終わりそうになった時、私に問いかけました。
私自身も先刻から、数百米ほども前方に淡い青のまじっている緑色のガスか霧に似たものが突然に発生して次第に大きくなり、
こちらの方角に進んでくる感じを気にしていたのです。
長い期間山歩きを過ごしてきた私には、このような色彩のガスを経験したこともありませんし、
発生する場所と湧き上がり広がる工合も、常識では判断できない現象でした。
この時刻と現在の天候状態では、ガス、霧ともに湧くはずがないのです。
847名前:長文スマソ投稿日:02/02/1807:15
これが田代峠の奥に存在すると言われている不明の正体なのかと、
さすがにぎょっとして足を停めようとしましたが、自分の意志とは正反対に、足の方で動きをとめてくれません。
私より数歩だけ前を進んでいた息子も同じ思いだったそうです。
ガスはますます濃くなって、私達の方に向かって輪を広げてきて、
私達は見えない引力にずるずると引き込まれていくのでした。
前を歩いていた息子が、真青な顔を私に向けて叫びました。
「お母さん。これ」
山歩き用に使っていて、私が息子に持たせておいた大型の携帯用羅針盤を指差していました。
あとは恐怖で言葉が出ないらしいのです。
必ず北を示していなければならない指針が、無暗にぐるぐる回るだけで、
不安定な針先はどこを差しているのか見当がつきません。
そんな信じられないことがと、羅針盤を水平に持ち直しても、
同様に針は固定せずに大きく回ったり鋭く振れ動いて、決まった所を差さないのです。
不安定な振れがおさまると、前方の方角に固定してしてしまいました。
初夏の太陽の方向と言えば、東か南です。磁石の北に向くべき針が、東南に。
あり得べからざる事態に仰天してしまいました。
そして、指針に向かって私達の身体までが、吸い込まれるように動かされていることに気付きました。
848名前:長文スマソ投稿日:02/02/1807:16
あっと言う間に延びてきた緑の気体が、私達を包んだようでした。
くんくん鼻を鳴らして嗅いだ私は、ガスか煙霧に似たこと気体は酸素と窒素からなる空気でなくて、
説明のしようもない別の成分の気体ではなかろうかと直感しました。
緑のガスを大きく吸い込みますと、すうーっと肺の中までしみる快いものを覚えました。
と、同時に、急に身体が軽くなりました。普通に歩いたつもりだったのですが、
足を踏み出した瞬間に、ふあふあした自分の身体は二米も高くとび上がった感じで、
そのまま十米ぐらい前方に音もなく降りる感じでした。
映画のスローモーションフィルムと同じような動作だと思い、突然に地球の引力がなくなってしまったのでは、
いやあるにしても何分の一かに減ってしまっているのです。
849名前:長文スマソ投稿日:02/02/1807:16
私だけではありません。突然の変化で、前を進む息子は恐怖におびえた顔を、
間の抜けたスローモーション動作を示しながら振り返って見せているのです。
第二歩を空中に躍らせた時、高い空を見上げました。
空は青色に決まっていますし、数秒前には間違いなく青だったはずなのに、紫に変わっていました。
ただの紫ではありません。抜けるように濃くすき通って眺められる紫の色でした。
そんな馬鹿な話ってあるものですか、そう感じました。
次には、ふんわり降りる際に、地上に目をやったのですが、たった今まで苦闘したばら科植物と蔦が消えていて、
砂地になっているのです。
しかも、この地方で見る土砂でなくて、何時か九州の海岸に遊んだ時に手につかんだ砂に似ています。
まばゆく輝く水晶とも思われる石英がまじっているなあと思いました。
山の中に海浜の波打ち際に見られる砂があるとは、私は混乱してしまいました。
850名前:長文スマソ投稿日:02/02/1807:18
◎UFOの基地か?
もう一つの奇怪な現象に、はっとしました。
ガスを通して見える五百米ぐらいの先の小高い山の中腹が、がらん洞の洞窟らしい穴になっていて、
その穴に向かって風が吹いているのです。附近の気体の流れが、その穴に対して集中しているみたいでした。
つまり、直径一粁もありそうな得体の知れない砂地の真上を、穴を中心点とした場所へ、
四方八方かたのかなり強い風が吹いているようだったのです。
木や葉は全く生えていません。緑のガスが一面にただよっている外に、
近づいて分ったのですが、小高い山と覚しい露出している山肌は緑色の泡で包まれていたのを発見しました。
しゃぼん玉遊びをするときや石鹸から出る泡と同じような泡ですが、なぜか緑色の小粒の泡です。
かなり強い風があるのに、地面に着いて離れないでいるのです。
どこから何のためにと、私の頭は狂いそうになってしまいました。
地球上の動植物で、こんな泡を出すものは聞いたことがありませんし、
気象学の方面でも見聞きしていません。
851名前:長文スマソ投稿日:02/02/1807:20
大洞窟に近づいた私が、右手で地面に吸いついている泡を握った時に、
納豆のような粘っこいものがからんで消えずに残り、手の平は真赤になりました。
緑から朱に変わったことと、熱い感じだったのを記憶しています。
この小区域だけは地球上にありながら、別の未知の天体のようになっているらしいことと、
緑色に光っている泡自体が、確かに生きているのを確認したように思われたことです。
大洞窟に吸い込まれるように入った私達は、がらんどうではなくて、
雑多なものが天井や岩肌にぺたぺたと張り付けられているのに気付き、
何故か鉄片を吸いつける磁石のような働きをする内部の岩壁に驚きました。
二十米もあろう高い天井に、にぶく光る物体を見つけ、取ろうとしてジャンプしました。
ここは引力が極端に弱くなっているせいか、私でさえも楽にとび上がれるのです。
緩慢な動作でしたが、身体がふあーっと空中に躍り、難なく届きました。
縦横十糎(センチ)のも足りない銅合金の板でしたが手にして読むと、
確かに「金星発動機五二型昭和十九年製三菱航空機株式会社」と刻み込まれていた記憶があります。
後になってから、旧海軍に在籍したことのある方にたずねますと、
中型の陸上攻撃機とか称する飛行機用エンジンの名称板だと教えてくれました。
そうしますと、戦争中にこの附近で不明になった海軍機のものになります
852名前:長文スマソ投稿日:02/02/1807:21
でも、大きな図体のジュラルミンや鉄片と人間の姿が見えなかったのは何故だろうかと疑えるのです。
地面に散らばっていたものも、銅製品であるまいかと思われる物体が多くありました。
鉄やアルミ合金などは溶けてしまい、銅だけが残されていた感じでした。
その外には、何百年か以前のものらしい百姓民具のうち、
銅製品の鍋や萓合羽の支え具らしいのも散らばってました。
タイムマシンの世界に踏み込んだ思いで、私は息子へ目で合図して、
いわくありげな洞窟から逃げようとしました。口は利けなくなっていました。
強い風力に抵抗して脱出するのは相当の苦痛でした。
洞窟から出た途端に小高い山のいただきあたりから、白昼ですが写真のフラッシュよりも
強烈な光線を浴びた感じでしたが、目がくらんで倒れたように思います。
これも後で聞いたのですが、息子は一遍は倒れたけれども再び起き上がって、
夢遊病者のように前の道を歩いて帰ったようだった、と言っています。
そのへんは、はっきり分からないのですが、フラッシュに似た光は、
白くはなくて緑色の光線だったと断言できるのです。
853名前:長文スマソ投稿日:02/02/1807:22
何時間過ぎたのか分かりませんでしたが、ふと、目を覚ましますと、
私と息子の二人は、前に申し上げました老婆の住む洞窟の前に倒れていたのです。
起き上がった私達は、ほら穴に入ってみますと、人影はおろか確かにあった諸道具は、何一つなく姿を消しているのです。
そして炉端だった土面から泡が涌き出ていました。
例の緑色に輝き光る泡が、生きもののようにうごめいているのでした。
私達が四日間も家に戻らなくて、大騒ぎになっていることも知りました。
それから、息子の方は二カ月ばかり安静してから、元の健康体に回復しましたが、
私は現在でも近くの市にある精神科病院に通っています。
先生から、高空に長時間いたための症状に似ていると診断されましたが、誰も私の話を信用してくれません。
ですが、私だけではなしに息子も奇怪な体験をしているのです。
854名前:長文スマソ投稿日:02/02/1807:23
私達は、信じられない現象を自分の目で確かめて、あそこの場所はいったいなんだろうかと考えましたが、
地球以外の天体からやって来て、少なくとも何百年の間も、
UFOなどの未確認物体を誘導する地球基地ではあるまいか。洞窟に住んでいたお婆さんは、
老婆に姿をやつした他天体からの派遣員だとも信じられるのです。
いくら考えても分からないのが緑色の泡でした。地球人の私達には理解できなかったのですが、
自在に色彩を変化させ、超短波のような電波を発信して、通信の役目を果たしているとしか想像できません。
田代峠の山地に、複数の人間がこの目で確認しても、誰も本気にしてくれないことを情なく思います。
editor注:田代峠界隈は今でもUFOが目撃される。
俺、小学生の頃に47号線の山の中(仙台から庄内へ帰る途中)で、巨大な銀色の球体が
山の向こうへ飛んでいく所を見たことがあるよ、地元民じゃないけど。
田代峠の一連の話と関係あるのかは知らない。
>>253
えー、地図で言うとどの辺りですか?
どれぐらいの大きさでどういう状況で見たんでしょうか。
差し支えなければ・・・
>>254氏
漏れは235氏ではありませんが、「山形 バイク 田代峠」
でクグると画像や地図が出てきますよ。
>>254
場所に関してはハッキリとは覚えてないんですけど、
47号線の新庄~最上間か、もしくはもっと宮城寄りか・・・、峠道だったってのは覚えてます。
あと親父が「この道は昔幽霊が出るって噂があったんだけど、道が改修されてから聞かなくなった」
とか、なんかそんな感じの話をしてた気もします。
UFOを見た方角は、仙台から庄内へ向かってる途中に車の右側の窓から見たのでたぶん北。
そのときの光景については暇な時に再現AAに挑戦してみます。
季節と時間帯もハッキリとは覚えてないですけど、たしか秋頃の日が傾く直前くらいの時間だったと思います。
あと↑とはまた別の話ですけど、UFO(未確認飛行物体っていう方の意味で)を見た記憶はもうひとつあります。
夕方時に112号線を山形から庄内へ向かって走っているとき、湯殿山スキー場とかあるあたりの峠道で
谷の方の方角(南?)に真っ赤な巨大な丸い物体(直視できる程度まで光を弱めた夕日って感じだった)が
山の上に浮いてるのを見ました。
その時、本物の夕日が右手(車の進行方向)に見えたし、そもそも太陽が直視できるハズ無いので、
太陽を見間違えたってことは無いと思います。
あとその物体は周りに炎のようなものをまとっていて、それが左上のほうに尾を引いてました。
ちなみにこの時、母も一緒にこの光景を見ていて、そのことを今でもちゃんと覚えていてくれたので
気のせいでは無いと思います。
ちょっとマジメに推敲してないので変な部分あったらスマソ。
UFO(AAだと丁度良いサイズにできませんでしたけど、
↓ これよりもう一回りくらい大きく見えました。)
ヘ へ
/;;;;;;;;;;;ヽ ○./;;;;;;;;\
/;;;;;;;;山;;;;;;;ヽ /;;;;;山;;;;;;\ ←すぐ隣接してる2つの山(どちらも高さ数百メートル程度の小山)
/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\
/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\
ちなみに自分から手前の山の麓までの距離は100~200メートル前後だったと思います。
ヘ へ
/;;;;;;;;;;;ヽ. (/;;;;;;;;\
/;;;;;;;;山;;;;;;;ヽ /;;;;;山;;;;;;\
/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\
/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\
ゆっくりと奥の山の裏側へと飛んで行って見えなくなりました。
UFOは全体が銀色に光っていて形は真ん丸、直径は奥のほうの山に生えてた木の高さと比較して
1本分以上2本分以下くらいだったと思います。
>>260
自分が見たのは↑のUFOの話よりももっと以前です。
UFOを見たのが10年くらい前だから、火球(仮名)を見たのは12~13年くらい前だと思います。
田代峠
前スレ読んだ事ないからよくわからんが、
田しろ峠ってミステリースポットなのでせうか?
UFOが見えるらしいが。
田代峠はずいぶん昔のムーに載ってた覚えがあるな。
沼地だか田んぼだかにナゾの三角形の足跡がついてる写真がでてたはず。
あの川口浩探検隊も調査に来てたと思うが。
(うろ憶えスマソ、歳がバレるな)
>>56
某化粧品店に勤めていた時(5年前の話)
「ケサランパサランに食べさせるんですけど、おしろいありますか?」
って買いにきた女性がいた。
「飛んでいたのを捕まえた。」と言っていた。
八文●田代峠
上のほうの書き込みで、田代峠の話が出てるけれど、
以前、ネットサーフィンをしているときにさまざまな峠を自転車で走破している人がいて、
そこに田代峠での話がちょっと出ていたのを覚えているよ。
その人本人は、峠を越える際に特に何もなかったのだけれど、
峠を越えて寮かなにかに戻ってきて田代峠の話をしたら、
そこの寮母さんが、UFOブームのときにUFO研究会なる団体が、
峠に行き、霧深い中で老婆に遭遇したという話。
暫くすると霧と共に消えた。その話を聞いてから、本人も怖くなった・・・みたいな。
まじめ!?な峠越え紹介のサイトなので、妙に説得力を感じました。
自分も田代峠のあの文章を読んだけれど、
実際は田代峠というよりも、そこから竹やぶの中を深く入り込んで行くことが危ないんだと思う。
私小説でもないようで、なにかの新聞か雑誌の記事を書いたものだと推測する。
あの文章での情景描写は、田代峠の情景と一致している。
自分が思うに田代峠の件は、ほかの幽霊スポットと違い、
その場に足を踏み入れること自体が危険なことだし、峠から外れて山奥自体に進むのは
困難なので実際は誰も行けないだろう。新たな情報はこれ以上は出てはこないのが実情だと思う。
またそれだけに興味本位だけであの峠には近づくこと、山奥に行くことはあまりにも危険。
下記にUFO関連の興味深いサイトもあるので貼っておくね。
https://www>>5a.biglobe.ne.jp/~UFO/index.htm
>https://mito.cool.ne.jp/jesuschrist/index.htm
一応、上の峠のそのサイトはまだあるかもしれないから探してみるよ。
5chで見る八文●田代峠
酒田のは知らないなぁ。
本当に噂だけで、そこにどんなのがでて、どんな事をする霊なのか分からないので。
一応、日和山。
>>214
日和山は噂だけだなぁ~
酒田だと旧西高周辺は色々とあるな、もともとは首切り場だったラスィ。
それと旧R7沿いの某貸家は、怪異な現象が続発するんで、
借り手がすぐに変わる、これは極々近所の人しか知らない話し。
田代峠
S60年頃に田代峠ブームがあったけど
最近あの辺UFOってでます?
ダムってできたの?水攻めに宇宙人は逃げていった?
>>63
田代林道最近は車で走れますか?
>>67
田代峠は去年車で通りました。
でも抜けてないので途中からどうかはわかりません。
ダムもないらしいですが。
その隣の鉈斬峠。
その名の通りナタで首斬った処刑場らしいです。トンネルの前後の公衆電話に人がたってたら…。
処刑場の時代に公衆電話に寄る霊って関係ないと思いますが縛
田代峠
田代峠は、確か宮城県側でダム建設中で通行できなかったんじゃないかな?
宮崎側からもアプローチしたけど、工事関係者以外立ち入り禁止だった。
田代峠に逝けなくても、山刀伐峠の最初の集落である一刎地区で
夕方の東の空によく見えるらしいね。最上町出身のやつがそう言ってた。
町域不明
薬来山、小田原の踏切
薬来山の薬来大滝は、霊感0の俺でも不思議体験には遭遇できたからお勧めかも。
ちなみに、自殺と事故死が多発しているらしく地元民は寄り付かないとの事。
宮町周辺では小田原の踏切かな。元勤務先の先輩、
友人、元カノ、いずれも面識無しの3人が同じ特徴の霊が見えると言ってたな。
>>26
kwsk
>>28
薬来は車3台で行ったんだが、1台はエンジンストップ、1台はライト切れ+無線が無言で
事務所側からon状態(自営、自宅の事務所で使用)、
途中にある野外の舞台みたいな所で激しい金属音が聞こえる。
機械の事は霊と関係ないと思っているが、新しい車+3台中2台の状況は不思議に思った。
連れの話では、八木山に似ているがより怖いらしい。
小田原(8丁目と記憶)は、一通の先は焼き肉屋の前に出る通りの踏切。青い(ぽい)子供が見えると言ってた。
白い服の女性だったら、ありがちパターンで一笑しようかと思ったが、これも不思議に思った。
当時、近所に住んでいたが見たことはない。
小○田の大滝
小○田の大滝に突撃した勇者はいないか?
>>206
今年の夏、普通にドライブで行きました。
キャンプ場の駐車場と道路を挟んで山側の雑木林から中年の男の人の霊体がずーっとこちらの様子を窺ってました。
特に何をするでもなく、ただただジーッと。
大滝で携帯で写真撮りまくった。
顔みたいなのが写ってたやつがいくつかあった。
霜警報
消防の時に中新田出身の先生から聞いたんだけど、
先生が小さい頃、5月なのに霜警報が出たんだって。
先生の家では農業してたから、芽が出たばかりの作物に霜がかかると大変だってんで、
親が霜除けの処置をしにいったんだって。
夜だったから先生も一人で家に居るのはイヤでついていったそうなんだ。
仕事が終わったのは夜中で、真っ暗だったんだけど、
帰る途中にある墓地が、遠くから見ても妙に明るくって、
変に思った先生が近づいたときによく見てみると、
そこには火の玉が幾つかふわふわと動いていたんだって。
先生達は怖くなって急いで帰ったそうだ。
オシマイ。
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